蒲郡市博物館 企画展「塩津の歴史」資料(平成30年7月21日~9月2日開催)として配布されていた記事です。部屋を整理していたら出てきたので、デジタルデータにしておこうと思い立ちました。
塩津村とは今の蒲郡市の塩津小学校・中学校学区に相当する地区にあった村です。
現在の町名では、竹谷町・柏原町・西迫町・拾石町・鹿島町辺りです。
この塩田は現在は埋立地で主に工業地帯となっていますが、「太田新田」「浅井新田」等交差点名や住所に残っています。
また、この「昔ながらの塩づくり」を学ぶために塩津小学校校庭内には塩田が作られ、総合学習の授業で活用されているとのことです。
年中絕えぬ鹽燒く煙
女性中心で爭議も絕無 愛知縣の鹽津村
村の婦人
潮汲む娘――汐燒く女房達――外觀的に繪畵的情調を豐富に持つてゐる製鹽の村。愛知縣寳飯郡鹽津村は東海道線 蒲郡驛を西に一マイル、鹽燒小屋を背景に活躍してゐる彼女達こそ昔から三河女の働きは男をしのぐといはれた語り草の如く、へまな男は足もとにも及ばぬ活動振りを示してゐる
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村民の主業は農で製鹽は副業的に營まれてゐるため鹽田の仕事は潮の汲込みから汐燒き迄殆ど女の手ですゝめられてゐる、昨年十月の鹽田整理で總段別十四町七段七畝十四歩の約三分の一を失つたので今年の收穫は餘程減るらしいが昭和三年度の生產額は三百五十萬斤、總價格十一萬一千餘圓だつた
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夏になるとお婆さんから子供まで一家總動員で働くが、年中を通じては女房連や娘達の獨り舞台、この地方は名物の鬼谷颪※2が每年十月中ごろから翌年四月中ごろまで吹き續くので鹽田の乾きが非常に早く、冬でも蟹の甲羅に似たショビヤ(方言、鹽小屋のこと)に夜ひるなしに煙が上がつてゐる
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朝は早くから子供の學校ゆきの世話と男達を田圃へ送り出す炊事萬端をすまして菅笠に手甲脚袢の姿かいがいしく鹽田に立働く、しかも製鹽創始以來三百年の永い歷史の間に鹽田爭議と名づけるものが一回も起らなかつた事實は母親から娘へと女性が中心となつて働いて來たためで、彼女たちのゆるやかな唄は昔ながらの大鍋と鹽竈を包んで隣町の文化振りとかけ離れたクラシカルな平和さを保つてゐる
※1 本文の漢字・振り仮名・仮名遣いは可能な限り原文に近い形での再現を目指しました。
※2 鬼谷颪 … 海谷颪。幸田町深溝の海谷方面から吹いてくる風をいう。(この語句解説は蒲郡市博物館により付けられたものです)