CANADA'S WINDVIEW

趣味の写真を投稿していきます。昆虫好きな長男と一緒に昆虫を追いかけています。最初の年はセミやカマキリ、次の年はカブトムシ、トンボ、そして今年は…

伊賀八幡宮の蓮(ハス)

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20110702土 晴れ時々曇り 31℃⇔22℃ 南南東2


愛知県岡崎市伊賀町にある伊賀八幡宮です。
隨神門の手前に広がる池にはたくさんの蓮が植えられています。
まだ一分咲きと言ったところ。
蕾が多いです。

7時過ぎに着きましたが、既に日差しがキツく汗ばんできました。


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徳川家代々祈願所伊賀八幡宮略記


由緒
当伊賀八幡宮は文明二年(一四七〇年)に松平四代親忠公が伊賀国(三重県)から下井田の地に移しまつったのがはじまりである。その後、下井田を伊賀というようになった。それから、松平家(徳川家の祖)徳川家代々の祈願所となったのである。
八代広忠公は、天文四年十二月織田信秀岡崎城を攻めとろうとしたとき、八幡宮に祈願して井田ヶ原に迎えうった。そのとき先頭に馬に乗った武者が現れ敵陣めがけて白羽の矢を放った。すると八幡宮の森の上から黒雲がわき、あらしをよんで、白羽の神矢が雨のように敵陣にとんだ。たちまち三万余の敵は敗退した。広忠公は、みずからその神矢を拾って、八幡宮に奉納した。家康公も、尊敬の念きわめて厚く、出陣にはかならず祈願した。関ヶ原の戦や大阪の陣には神殿が鳴動し、鳥居が移動したりするなどふしぎなことが起こった。また、桶狭間の戦に利なく軍を引かそうとしたとき矢作川八幡宮の神使の鹿が現れて、家康公は無事に大樹寺にはいることができた。こうして、八幡宮は松平徳川家の守護神として、尊敬をあつめていたのである。社殿の造営はたびたび行われ広忠公の天文年間、家康公の永禄年間、家光公の寛永年間の造築がそのおもなものである。
現在の社殿の大部分は寛永十三年の造営である。昭和八年になって、本殿、幣殿、拝殿、透塀、御供所、隨神門、石橋、石鳥居、ならびに棟札などが国宝に指定された(現在も国の重要文化財)。
社殿は、江戸初期の建築の代表で、江戸時代の神社配置形式をよく残しているのである。

    伊賀八幡宮