一昨日から満開を迎えており、花びらは白色に変化してきています。
もう少しすると更に淡い墨色に変化し、散って行きます。
もう少しすると更に淡い墨色に変化し、散って行きます。
---
パンフレットより
生後わずか五〇日で養育係の草平・兼平夫婦に託された男大迹王は、尾張一宮で難をさけていましたが、さらに美濃の山奥に隠れ住みました。この間、厳しい生活を強いられましたが、二九歳の時、都から勅使が迎えに来られ、王は都で継体天皇(二六代)として即位されました。
村を離れられるとき、住民との別れを惜しまれ、尾張一宮から持ち帰られた桜を、二男・桧隅高田王の産屋跡に植えられ、一首の歌をそえて記念とされました。
パンフレットより
淡墨桜の伝説
今から千五百年あまり昔のこと、応神天皇五世の孫・彦主人王の孫・男大迹王が皇位継承をめぐり、後の雄略天皇(二一代)の迫害を受けました。生後わずか五〇日で養育係の草平・兼平夫婦に託された男大迹王は、尾張一宮で難をさけていましたが、さらに美濃の山奥に隠れ住みました。この間、厳しい生活を強いられましたが、二九歳の時、都から勅使が迎えに来られ、王は都で継体天皇(二六代)として即位されました。
村を離れられるとき、住民との別れを惜しまれ、尾張一宮から持ち帰られた桜を、二男・桧隅高田王の産屋跡に植えられ、一首の歌をそえて記念とされました。
身の代と遺す桜は薄住よ 千代に其の名を栄盛へ止むる
(みのしろとのこすさくらはうすずみよ ちよにそのなをさかへどとむる)自分の代わりに残していく桜の薄住が、村と共に末永く栄えるようにという意味です。